番外編:「できること」と「好きなこと」の違い

おこんばんは、鶏皮です。

先日、フットサルをやってぼんやり思ったことを書きます。

torikawaparipari.hateblo.jp

 

 

 

 

私は幼い頃から運動センスとやらがある方でした。

元々なにもしなくてもそこそこ足は速い方でしたし、

学生時代、体育の時間でも大体の球技は練習なしで

人並み以上くらいにはできました。

 (ただ「根性」や「努力」といった部分が圧倒的に欠けている人間だったので

その専門の人と勝負したら秒で負けますが笑)

 

喪女の突然の運動できるアピールハイハイ!と

ブラウザ閉じられそうで怖いですが続けます…!

 

でも運動ができることについて特になんとも思っていませんでした。

「まぁ人より運動できるのかなぁ」くらいでそこまで重要視もしてませんでした。

 

昔から運動することは好きでしたがそれ以前に

私は絵を描くことが大好きで絵を描くことにのめりこんだ二次元オタクでした。

 

幼い頃からスポーツ同様、絵を描くことも大好きでした。

しかし絵に関しては、周りから頭ひとつ抜き出るようなセンスがあったかと言えば

そんなことはなかったです。

ただ自分でも不思議に思うくらい絵に対しては「上昇志向」が強かったです。

「"上手く描けるようになること"こそが"楽しいこと"」と思っていました。

 

私は美術系専門クラスがある高校に通っていたので、

周りには化物のように絵がうまい人がゴロゴロいました。

大人になった今でも、つるんでる仲間はそういう人達だし、

プロで活動している人もいます。

中学まで井の中の蛙のように「自分の絵は上手」と思って入学した私は

想像もしない重さの劣等感に押しつぶされました。

そしてその後もPixivやTwitterから流れてくる絵や評価を目の当たりにして

ペンも握れないくらい劣等感を感じたことが数え切れないほどあります。

 

劣等感の渦の中、だんだん自分の絵がキモチワルイものに見えてきて

ひとしきり泣いたこともありました。

「上手くならなきゃ!上手くならなきゃ!」と、徹夜して絵を描いたことも何度もあります。常に焦っていました。

傷付いて立ち直れなくなるから他人の絵を全く見れない時期もありました。

 

でも面白いことに、こういった感情をスポーツで感じたことはなかったんですよね。

学生時代はずっと体育会系部活にいたので、

もちろん多少運動ができるといっても上には上がいますので、

自分より遥かにスポーツができる人間も他校との試合でたくさん見てきました。

それでも自分のプレーを「キモチワルイ」と思ったことはないし、

傷付いて立ち直れなくなるから人のプレーを見ることすらできなくなったことなどなかったです。

 

スポーツでは当たり前にかわせる感情も

なぜ絵だとそれができないんだろう…!というのも昔からすごく疑問でした。

 

そういう昔のことを思い出しながら、

今回のフットサルでの出来事でぼんやりと気付けたことがありました。

 

あんなに「上手くなりたい上手くなりたい」って

焦ったり悩んだり泣いたりしながら描いていた絵について

今まで「上手だね」と褒められたことなんて覚えてないくらい少ないのに対して、

 練習も何もせず、ただノリだけで参加したフットサル(運動)では

あっという間にたくさんの人から「上手だね」という言葉を頂きました。

 

承認欲求の塊だった昔、喉から手が出るほど欲しかった「人から認められる言葉」は

認められたいと思っていた「絵」ではなく、なんの苦労もしなかった「スポーツ」から

いとも簡単に貰えていたなぁということを思い出しました。

 

結局は「持って生まれたセンス勝ちじゃん」とか「結局は人の評価が全てじゃん」とかそういう話をしたいんじゃなくて、

なんだかそこで「あ。スポーツできる自分って"自信"に思っていいことなんだな」ってことに気がついたんです。

 

ちょうど5ヶ月前このブログを始めた当初、

だって自分にはオタク趣味しかないと思い込んでたから。

このブログを始めるきっかけ①(お絵かき腐女子脱却編) - アラサー腐喪女がやりたいこと50個やるブログ

 

そして今も一生懸命創作活動をしてキラキラ輝く友人を横目に見ながら 「あ、私はあの道には行けない人間なんだな」と漠然と思いました。 そこで今まで10年以上突っ走ってきた趣味が手元からするっと 落ちたような感覚がして、今の自分にはなにもないなということに 気付かされました

このブログを始めるきっかけ①(お絵かき腐女子脱却編) - アラサー腐喪女がやりたいこと50個やるブログ

 こう思ってました。

 

キラキラ輝いて創作活動を続けていけるような人間ではなかったようです。

絵を描く人が劣等感を感じるのは当たり前です。むしろないとダメだと思います。

皆そこを歯食いしばって乗り越えています。

それができずに私はその椅子から席を外しました。

「根性なしで自分にはなにもない人間だ」と思っていました。

 

でもスポーツができる。

それは人から褒められて初めて気付きました。

当たり前だと思ってたけどどうやら誰もが皆、できることでもないらしい。

確かに周りに化物のように絵が上手い子がたくさんいましたが、

スポーツで言えば私の方ができました。

("絵"が全ての学校だったので、本当気にも留めてませんでしたが笑)

 

ブログを読み返してみました。

一人で旅行に色々行ってました。今まで感じなかったようなことを感じることができました。

洞窟探検行ったりもしました。

縁がないと思っていたEXILEのライブに参加しちゃったりしました。

おっさんずラブ」から数え切れないほど色々なものを学んだりもしました。

演劇をやってみたり、VRで叫んだりもしてみました(笑)

 

なにもなくありませんでした。

5ヶ月前は「絵を描く自分、二次オタ腐女子な自分」しか見ていませんでした。

もう、ね。それがアイデンティティだった。本当に自分にはそれしかないと思ってた。

でもちょっと横を向けば色々な自分がいました。

横を向いたあと、また「絵を描く自分」を見たら

「確かに絵が抜きん出て上手いわけではないけどそんな劣等感感じなくてもええな」と思えました。

昔のように友人たちと一緒に毎日ガリガリ描いてる訳じゃないですが、

今も描きたいときにはたまに描いてる訳だし。

 

ブログを書くようになって一覧にして可視化できるようになったからこそ

視野を少し広く持つことができました。

自分に少し「自信」がついてきたように思います。

そうするとね、まぁ、生きやすい(笑)

「自分なんて…」ていう自責の時間が減りますからね、単純に。

時間とストレスの大幅短縮ですよ。

 

本当は少しでも若いうちにしっかり婚活をした方がいいんじゃないかと 未だに不安に思うこともあります。 でも「将来のためにやっておいた方がいいこと」より「今やりたいこと」を 優先してみようと思いました。 これを通して人間偏差値が3くらい上がることを願います(笑)

ブログを始めるきっかけ②(焦って婚活始める編) - アラサー腐喪女がやりたいこと50個やるブログ

 

「今やりたいこと」優先するの間違ってないよ。

と5ヶ月前の自分に言いたい。 

 人間偏差値5くらいにはなったかもしれない。

勘違いかもしれない(笑)

それでもいいです。

ずっと3だと思ってるより勘違いで調子乗って5だと思ってるほうが生きやすい。

生きてて普通に楽しい(笑)

 

こういうので高説垂れるのは、

自分が読者だった場合「は?ウルセー!」って思うからあんま好きじゃないんですが、

みんな自分で気付いてないだけで当たり前に できてるけど

それって当たり前じゃないんだよってことゼーーーーッタイあるなと思いました。

自分じゃ気付きにくいのです。当たり前だと思ってるから。

 

人から褒められたとき「いやいや~」とかめんどくせぇ謙遜しないで

素直に受け止めた方がいいと本当思いました。どんっなに些細なことでも。

(世の中「お世辞」とかいうトラップもあるから難しいんだけどさ!笑)

「私ってそうなんだ」って素直に受け止めて吸収した方が今後の呼吸がしやすいです、マジで。せっかく相手が褒めてくれたんだから。

 

私は周りの人からの「フットサル上手だね」で、そのことに気付けたので、

これからは周りの人にちょっとでも気付いた褒めポイントは口に出して言っていこうと思いました。

どんなにしょーもないことでも。(元々お世辞言えない人間なのでちょうどいい)

 

大人って本当人のこと褒めないから、だったら自分から言ってやろうと思いました。

ちょっと一言褒められただけでこんな3000字強もブログ書くバカもいるんですから。

たかが一言言うだけでその人に少しでも影響を与えられるってちょっと面白いじゃないですか(笑)

 

明日、職場の人誰でもいいから褒めよ(笑)

なんか記事にして書いたら面白くなってきちゃった。

それでは夜も更けてきましたのでこのへんで。おやすみなさい!

 

良かったらクリックお願いします^^

にほんブログ村 その他日記ブログ 干物女・喪女日記へ